戻る

1
▲北梅海単独徒歩横断をなしとげた大場満郎さんが、故郷人りし後援会幹事長の木付喜実生さんと対談した記事が本誌八月号に掲載されている。 そのなかで、大場さんは今の子どもの教育にあたって大切なことを次のように示唆している。 「今みたいにお金やものが豊富でなかったからだと思うよ。昔の人には『豊かになりたい』という目標があった。…ものが豊かすぎると、人間はだらけてくるし、知恵も働かないと思う。」 「……エスキモーの子供たちは、みんな自分の役割を持ってるんだ。マイナス四十度の日でも、小学生の女の子が外へ出て何かやっている。
2
そしたら、オノでコチンコチンに凍った魚を割っている。『手伝ってやろうか?』と言うと、『いいよ、これは私の仕事だから』と。それを犬にエサとして与えるのがその子の家族としての役割なんだ。今の日本で、そういう役割を持っている子供たちは本当に少ないだろうね。」とある。▲この対談には二つの大切なことがらが内在されている。「一つはお金やものだけでは、からだは育つが心は育たないということ。二つには家庭の役割としてお手伝いする子どもは何人いるだろうか」という素朴な疑問である。
 
   
 
 
3
 たしかに、ものの豊富な時代に育った子どもは、ものに村する感覚がマヒして、その価値が見えなくなり、いつでも簡単に手に入るように錯覚してしまう。こういう傾向は、ものに対してだけでなく、自分の将来に対する考え方にも及んでいる。将来に向けて努力しなくとも、なんでも簡単に手に入るように考えており、その結果、子どもたちの目には将来が見えなくなっている。子どもが自立できなくなった原因の一つに労働からの疎外の問題がある。働くことに自信のない子どもが社会参加の拒否という形で自立への恐れを訴えているのである。 「空腹は食欲をおこし、貧しさは意欲をかきたてる」というコトバがある。まさに、今日の豊かさは子どもの意欲を疎外している。
4
▲お手伝いには三つの教育的意図がある。一つは手伝いを通して、思いやりや義務感を学ぶ。二つにはお手伝いという行為を通して生活感覚を高め社会性を身につける。三つには手伝いを通して体験的知識を身につけさせるなどである。お手伝いをしない子どもは自分が得することばかりが関心事となり、自分の行動が全体にいかなる影響を与え、ひいては自分にも跳ね返ってくるという問題意識が皆無になる。そして、自分勝手な利己主義に走り全体の視点が欠けるのである。

 戻る