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▲一人の人間の「ねうち」を定めようとする場合、それぞれの国によって、その「評価基準」が違う。比較教育学者のアイザックキャンデルは次のような国際比較をおこなっている。ドイツでは「彼は何を知っているか」ということを重視する。これを、主知主義という。アメリカは、「何ができるか」ということを基準とする行為主義の国。フランスは、「どんな免許状を持っているか」という実証主義の国。イギリスは「どんな人物であるか」という人格主義の国であるという。ところが日本では「どこの学校を出ているか」という学歴至上主義の国だというのだ | ![]() |
▲これまでも政・官・財・業による多くの贈収賄にまつわるスキャンダルを多く見てきた。いずれも大学卒で知能指数だけが突出し、倫理指数が身についていない人たちである。知能指数は十分条件といわれ、倫理指数は必要条件であるといわれる。また、職業の専門性は必要条件であり、本来あるべき人間性は必要条件である。ところが問題の官僚たちには必要条件である倫理指数が欠落しているのである。 | |
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| ▲確かに日本は学校教育万能主義に徹してきたことは事実である。有名高校や大学を卒業し、大蔵省などの官僚になるのが立身出世の近道だと信じてきた。ところが、昨年来の中央官僚の不祥事が相次ぎ、その腐敗ぶりに国民は唖然とした。これら官僚は有名大学を卒業した、いわゆるエリート官僚である。善悪より損得勘定に唯々諾々と尾を振る節操のなさ、モラルの低さが余りにも目についた。つまり、厚生省の役人は国民の健康が第一なのではなく、天下り先の製品会社の利益が第一なのではないか。製品会社は病気を治す薬が売りたいのではなく、儲かる薬を売りたいのではないかという国民の人間不信が見られた。 こうなると民主国のわれわれは人間不信の感覚をどのように受けとめるべきかに戸惑う。 |
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▲今、アメリカでベストセラーとなっている本に「EQこころの知能指数」というのがある。著者は米国のダニエル・ゴールマンというジャーナリストで、社会で成功するためにはIQ(知能指数)でなくEQ(こころの知能指数)が大事なのだというもの。つまり知能指数の高い人が必ずしも成功せずといわれるのは、人間の能力の差は自制、熱意、忍耐、意欲などを含めた心の知能指数の差によるからだと説いている。 ▲これまで日本の教育が心の知能指数に対するこだわりを忘れたことが生徒のいじめや校内暴力、さらには大人の一連の腐敗を生み出しているのではあるまいか。 |